思ったこと感じたこと倉庫

日ごろ思ったこと感じたことを書いていくブログ

やっぱりこのブログで英語を使うのはやめにした。

少し前にこのブログでしばらく英語を使うというように記事を書いていたがやめにした。

というのも、思ったことを何か記事にするためにはやはり日本語の方が便利であるということ。また、仮に将来的にこのブログをさらに発展させて何かにつなげていくときに、英語だと日本でのブログサービスという点で読んでくれる人がおらず、デメリットが生じるのではないかと感じたからです。

だから英語を使って自分の英語力を高める事は、また別の場所で行って行こうと思う。

私が購読しているブログでもブログを続けるコツは、読む人をあまり意識することなくとにかく、書きたいことをとにかく書き続けることが大切であるということが話されている。

やはり気軽に記事をかけるということは、仮に読んでくれる人が存在している場合や私のこのブログに訪れてくれる人を大切にするためにも、やはり日本語で書くのが良いのではないかと思いました。

このことより、これからは日本語でこのブログを記述していき、英語を使用するのはまた他のサイトで、もしくは別のブログを立ち上げそこで行おうかと思う。

Having a feeling of inferiority I had due to my friend :(

Yesterday I went to see my friends to have a dinner in my university, and there I met my friends who have experienced study abroad for one semester or one year.

I also was in the US for study abroad for one year, but I finished it until the end of last year and I am under the circumstance that I do not need to use English to talk, write, read, and listen currently because I am in Japan from this beginning of the year.

I, in fact, have my friends who are in the US and am still having a contact with them by using Messenger on my phone, but it is not too much for my English and I don't feel any confidense. One of my frineds I met have really good skill of English and now he definitely uses English better than me.

And then I talked to him and what he talked to me was something that changed my mind and I thought I need to study English as I have done in the US.

My English dosen't have any proof that I was in the US actualy and it is extremely terrible.

 

To leave Japan someday, I am going to study English anyway.

  

I'm going to use English to write this blog for a while, probably.

I've spent time for a while to do anything which were not related to writing my blog, because I had many things to do from the last post I wrote.

 

Recently I'm thinking that I'm less useful as a man who has been to the US for around 1 year. To be honest I'm feeling that my English is getting worse and I would struggle more than now due to the reason why I didn't use and practice English to do some things.

 

Then I thought that I could use this blog to use and practice English, and I started using this blog to do so. I'm not sure if I'm going to use my blog as I thought, but it could be very useful to improve my writing skill and how I think English in my mind as my second language, also it'll be something special which makes my future something different, even if my words, grammar and something more are not well enough.

 

I want to keep doing this for a while :)

平然と嘘をつく世の中って何?

随分と前から世の中は、ある文書の書き換え問題で騒がしくなっていましたが、また色々と新たな事実(これも本当かわかりません)が判明しさらに騒がしくなっていますね。

 

私は政治に詳しくなく専門的に議論などは到底できません。

しかし、こんな知識のない私でも疑問に思うのが、政治に携わる人間が平然と事実と異なる説明を行ったり、後から突然言っていたことを変更したり、等国民を騙すようなことが行われているということです。

 

ここから私が思うのは、今の世の中は(おそらく過去も)嘘をつくことは普通で、私が知らない世界では嘘をつくことが常識になっているのではないのか、ということです。

 

自らがしたいことを実行するため、自分が責任を負いたくないため、等自らの利益のために事実を歪曲させその結果どのようなことが起ころうとも、まるで自分が引き起こしたのではないかのように振舞うのはどうなのでしょうか。

 

今まで私は、経験が無いながらも自らの言動に責任を持ち、誠実に真摯に生きることを人生の軸とし、将来的にはそのような人間になることを目標として生きてきました。

そして、この世の中には私の人生の目標を体現している大人がいると信じて生きてきました。

 

しかし、最近では平気で嘘をつき、事実を歪曲し他人を騙し、自らの利益のためだけに行動する人間が多く目につくようになりました。(あくまでも私の経験です。)

 

私は、悲しくて仕方がありません。

特に、メディアで取り上げられるのが基本的に賢い人たちであるというのが、より一層悲しみを増幅させます。

 

私は、世間的にはあまり賢い大学に属しているわけではありません。

しかし、さらに知恵、知識を身につけるために努力をし、世の中の賢い人間が見ている世界を欠片でも覗いてみたい、と思っています。

 

しかし、その賢い人たちが見えている世界が嘘にまみれているというのであれば、その世界にたどり着きたいと思うのを躊躇ってしまいます。(とはいえ、最近は馬鹿なりに知識欲が増しているので、これを止めるのも容易ではないのです。)

 

嘘でまみれている世の中に憧れる若者は、いないと思います。

おそらく叶うことはないと思いますが、いつかこのような世の中が変わっていってほしいと思います。

また、世の中がたとえ嘘でまみれていても私は私なりにまじめに生きていけたらと思います。

 

稚拙すぎる文章で後半がグダグダになりましたが、今回は以上です。

もっと専門的な知識を身につけていかなければいかないですね。

ではまた。

 

指導に暴力や暴言が使用されることについて

先日、指導に暴力や暴言が使用されることについて考えることがありました。

 

この”指導”というのは、スポーツや仕事、その他単に少し教えるだけ等、とにかく何でも含みます。(あくまでも私の意見なので。)

 

元々この件についてはしばしば考えることがあったのですが、この記事に書こうと思ったのは、新聞記事にスポーツの指導に暴言や暴力を使用することをやめようと活動している方が載っていたからです。

 

私は、昔から何かしらを指導するときに暴力や暴言がしばしば用いられることを知っています。

義務教育課程においても、体育の先生はルールを守らない学生に対して最終的には暴力で指導していました。

私は暴力を振るわれる側の人間ではなかったのですが、見ていて気分の良いものではなかったです。

 

その他にも、過去に大阪のとある高校(おそらくあっていると思います。)では部活動で体罰が行われ、それを苦にした学生が自殺したり、はっきりとは覚えていませんが数多の問題が過去に発生していたと思います。

 

このような結果を招いてしまうにもかかわらず、どうして暴力や暴言に頼ってしまうのでしょうか。

 

私にはどうしてもこのような指導は、思考停止した指導方法ではないのかと思ってしまいます。

もちろん、このような指導方法を行う人たちの中には、スポーツであればオリンピックのメダリストに選ばれるような選手を育て上げた人がいたり、会社の売り上げを倍にしていたり、等輝かしい実績を持っている人がいらっしゃるのは知っています。

 

 

しかし、私はこのような指導方法が最適解ではないと思っています。

まあ、こんなことを書くとゆとりだとか最近の若者はとか今の大人は仰るのだと思いますが。

 

海外では、あの手この手で労働者のモチベーションを上げる手を考えたり、そのモチベーションを上げることの重要性が教えられたりしています。

私も実際にその場で学んだことがあります。このモチベーションの部分はしっかりと教えられています。グループワークとかでそれぞれがしっかりと考える時間が設けられていたりしました。

 

その場では、暴力をふるうことなど一切語られません。当然ですが。

それよりももっとモチベーションをあげ生産性を上げることができる方法が数多く存在しているからです。

 

どうして日本ではまだまだ暴力や暴言が普通に行われているのでしょうか。

 

日本の労働環境においてはそれが顕著なのではないかと思います。

おそらく、日本の各企業の優秀な経営陣があの優秀な頭で考えた結果が、失敗をした従業員を罵倒したり、むやみやたらとプレッシャーをかけたり、サービス残業で労働者のモチベーションを下げたり、、、等なのだと思っていますが。

 

スポーツでも同じだと思います。

あくまでも指導は暴力や暴言に頼るのではなく、適切な指導方法を探していくのが大切なのだと思います。

 

しかし私の未熟な頭では難しいですね。最適解を見つけるためにはまだまだ精進が必要です。

おそらくこの先何十年も嫌というほど実感していくのだと思います。

私自身の未来が明るいことを祈ります。

 

今回は以上です。ではまた。

 

 

 

 

人に尽くすことが幸せにつながる、という意見について

先日、人に尽くすことが幸せにつながる、について考えることがありました。

 

これを考えるきっかけになったのが、ある友人に人に尽くすことが幸せにつながる。だから友人をもっと大切にして、SNSへの返事ももっと積極的になるべきだといわれたことです。

 

私としては、もちろんこの意見は少なからず正しい意見だと思っています。

家族や友人、先輩、後輩、知らない人等、誰に対しても何か良いことをすれば幸せな気持ちに包まれます。

(私は心理学等に精通していませんので、あくまでも主観的で経験則でしかありませんが。)

 

また、小さい時からおせっかいと言われるほど周りに何かしらをすることが多く、自分なりに周りに尽くしてきたつもりです。

 

しかし、これはあくまでも私の目線から思ったこと感じたこと、また自分がそうしたいと思ったこと、でありこれを他の人に押し付けるのはどうかと思うのです。

 

私は、人のために尽くす、ということはあくまでもその人の善意であり、それを人のために尽くすと幸せになる(実際にどうなのかはわかりません。あくまでもそのような人が多いというだけかもしれませんが。)、だからあなたもそうすべきだというのは少しずれているのではないかと思うのです。

 

結果として、押し付けられたことで生み出される善意も、自然と生み出された善意も世の中を少なからず良くしているということは事実だと思っております。

しかし、それはあくまでも結果論であり、その過程を無視しているのが気になります。

 

特に、人に尽くすことが幸せになる、という考えを押し付けることで、だから私にも尽くしてよ、という結局は自分に都合よく動いてほしいという自分本位な考えに過ぎないのではないかと感じることも多いのです。

 

このように考えてしまうのは、私がおかしいのでしょうか。

自分を犠牲にして、仮に自分が都合よくつかわれていたとしても、人のために尽くすことが大切なのでしょうか。

 

まだまだ知識が足りず、このような問いには答えが出ないのがもどかしいです。

もっと精進しなければいけないと感じました。

 

このことを他の仲の良い友人に話すと、「人に尽くすことも大切だけど、人に尽くされる人になることも大切だよね。」と言われました。

恥ずかしながら、この考えは私は持っておらず、とても勉強になりました。

やはり友人と意見交換をするのは大切だと感じました。

 

主観的な考えになりましたが、このことを頭の片隅にでも置いて、自分なりの答えを見つけていこうと思いました。

 

今回は以上です。ではまた。

将来AIやロボットに仕事が奪われる、というビデオを送り付けられて

友人からタイトル通りのビデオが送りつけられました。

 

その友人は工学系の学部で勉強しているわけでもないのですが、独学でコンピューターやプログラミング言語を学び、パソコンで使うアプリケーションを開発したりしているようです。

友人として付き合って感じたことは、とてもプライドが高く、私からしたらとても知識があるようですが井の中の蛙といった感じが凄まじいです。

(彼が作っているアプリケーションは私の目から見たら凄いですが、プログラミング経験が長い人からすれば大したことないと思います。あくまで主観的な意見ですが。)

 

やたらと様々なことを批判して、私にもあれはダメこれはダメ、とイライラしてくる程言ってきます。

まるでその友人は全世界のありとあらゆることを理解しており、彼が考えていることが世界の中心、常識でありそれに従うことが絶対といった感じです。

プライベートへの干渉は凄まじく、ちょっとでもSNSで返事をしなければかなり頻繁に返事の催促や、無視された等の被害者ぶってきます。

一言でいうと、鬱陶しい友人、です。

 

話が逸れましたが、そのビデオは将来の仕事がAIやロボットに奪われる可能性がある、ということや将来どのように生きていくべきか、みたいな内容が語られていました。

また、ベーシックインカムについても語られていました。

 

しかし、そのビデオで語られていることはとてもありきたりで、この程度の内容を凄いみたいに扱うのはどうなのだろう、というものでした。当然私よりもかなり年下になれば少しは参考程度になると思います。

しかし、私はこの友人の性格を知っているので、私の日ごろの生活やしようとしていることを暗に否定し、この友人が私よりもものを知っており優れている、ドヤァ、という風にしか捉えられなかったのです。

 

しかも、このビデオと共に私に対してこうすべきだ、これはしてはいけない、とかを語ってきました。

自分をコントロールできていない人に、とやかく言われる筋合いはないですし、その前にもっと自分を高めれば?、と言いたくなりました。

 

当然私は世間からすれば、全くと言っていいほど知識不足ですし誰よりも優れている能力はありません。

そんな私でも、鬱陶しいと思ってしまうほどだったので呆れました。

 

私も友達はとても少ないですが、この友人も非常に少ないそうです。私は大勢でつるむのが好きではないので少数の友人との深い付き合いを大切にしていますが、この友人はそういうわけではないのに友人が少ないそうです。(私からすれば十分多いですが。)

こういう性格とかも問題なのでは?と心から思いました。

 

結論としては、こういう友人のようにならないようにもっと学んでいこうと思いました。周りの人に人生とは何か、とかこういう風に生きなければいけないとか語るものではないですよね。何様でしょうか。

 

曖昧でまとまりのない文章になり、何が言いたいかわからなくなりましたが今回は以上です。

大半が愚痴のようになりました。反省しまだまだ精進していかなければいけないですね。

 

ではまた。